ベトナムで感心したのは食事の美味さでした。何軒か連れて行ってもらったのですが、どの店も食材が新鮮で、メニューも驚くほど豊富でした。店の名前、通りはベトナム語の発音が難しく聞いてもすぐ忘れてしまいましたが、その印象をお伝えします。
 最初にどうしても食べたかったのが、開高 健 氏の闇3部作で、彼が何度も舌鼓を打ったという海老の蒸し物でした。期待どうりの味で、20センチはあろうかという、大きな川海老を、ライムで岩塩を溶かしたたれで食べたのですがその甘さが口いっぱいに広がり、そのボリウムと共に満足させられました。
 メニューは中国語で書いてあるものを見せてくれるので、大体の想像はつくのですが、自分が選んだものより現地の人が選んだものの方が美味しかったような気がします。自分で選んで成功したのは、海老の蒸したのと、蜆の料理でした。本当に蜆かなと疑うようなアサリの大粒代の蜆をにんにくや様々な薬味を使って炒めてあったものですが、薬味のバランスが絶妙でした。
鶏料理も何種類か食べたのですが、印象に残っているのは、一つは北京ダック風で皮がぱりぱりして、薬味が微妙で独特のたれをつけて食べると、その食感と口の中で広がるたれの旨みが北京ダックとも違う美味さを引き出してくれましたた。一つは多分香味野菜と煮込んであると思うのですが、薬味がいやみでなく身体に沁みこむような美味さで、薬味を使う文化の深さを思い知らされました。もう一つは韓国のサンゲタンを思わせるような鶏料理でした。鶏の腹の中にライスと薬味を詰め込んで、オーブンで時間をかけて焼いたものと思うのですが、皮はパリパリで、中のライスには様々な香味と味がしみこんでいて、これも美味しく食べられました。
牛肉料理は韓国焼肉風で、色々な野菜を下味をつけた牛肉で巻いて、網のうえで焼くものでしたが、これも薬味が美味く利いて、日本で食べる焼肉とは又違った美味さがありました。外れたのはうなぎ、これは煮たものか、フライのようなものを想像していたのだけれど、出てきたのはうなぎのそぼろで、ナムの様なものに巻いて食べるのですが私には薬味が利きすぎて口に合わず、好き嫌いの少ない私もパスさせてもらいました。日本のお通しのように出ている鶉の卵に気がついて、不思議に思い何なのか尋ねると、食べろと言って、一つ皮をむいて食べて見せてくれました。私もゆで卵かなと思って食べると、これがうずらの孵化した卵をゆでたもので、フィリッピンで出る孵化した卵をゆでたものと一緒と考えて良いようです。鶏の卵は大きくて生々しく食べる気にはならなかったのですが、これは食べやすく、ブラックペッパーと塩を混ぜたものをつけて食べると絶品でした。孵化の段階が微妙に違って、孵化の進んだものは、骨も形成されているのか、こりっとした食感が又美味しく感じられました。食後にベトナムの地酒が飲みたいと、何かないか尋ねると、透明の酒を持ってきてくれました。30度から40度くらいの酒で、飲んでみるとラム酒と同じような気がしました。甘くて結構いけます。日本でもサトウキビから作った焼酎でこれとおんなじ味がしていたのを思い出しました。
 最後にフランスパンのことも一言、美味しかったです。この美味しさを、どう言葉で表現したら良いかはわからないのですが、私が食べたのは町を自転車で廻って売っていたもので、このような零細のパン屋さんで、これほどのパンが焼けると言う、フランス文化の真髄を見たような気がします。フランスが殖民して、この国にもたらした最大の遺産がこの食文化なのかな、変ところで感心してしまいました。
ホーチミン記念館の展望テラスから川越しに見たホーチミン市の風景
ホーチミン記念館
ホーチミンに関する資料がすべてで、他に見るべきものはあまりなく、ホーチミンに傾倒する人意外には退屈なところかもしれません。
市内で見かけた大聖堂
平日だった所為か人影は余りありませんでした。
 ホーチミンに在った寺院、肉眼では感じなかったのですが、線香の煙で曇って見えます。ミャンマーと違って、人は少なく、閑散としていました。共産主義に体制が変わって、信仰心は人の生活に、あまり重要ではなくなってしまった、と言うのでは少し寂しい気がしました。と言う私もあまり信仰心が強い方ではないのですが、寺院や教会にに行くと、何故か心が落ち着くのです。左の写真は捕らえた雀を買っている所です。買った雀を空に放ち、逃がしてあげることで功徳を積んだことになるのだそうです。ミャンマーでもここでも寺院に行くたびに私は功徳を積んでいるのですが、現世ではあまり効果はなさそうです。
私が最初にベトナムに行ったのは1月の末でしたが、広場で花の市が開かれていました。広場中が花畑に変わったたようで見事なものでした。左側の写真は花で動物の形を作ったものです。その見事な出来に写真を撮っていたら、どこからとも無く若い娘が現れて、撮影料をしっかり請求されました。次の3月に行ったときには、この市はやってませんでした。
次に驚かされたのが、このオートバイの数の多さです。次から次にやってくるバイクの波に、最初私は道を横断することが出来ませんでした。案内の女性に手を引かれて横断すると言う情けない自分の姿を日本の友人には絶対見られたくないなと、横断しながら心の中で考えていたのが、何故か不思議です。何日かたったら横断のコツを伝授されました。ゆっくりと歩くことだそうです。ドライバーはその動きを予測してよけてくれるそうです。
 後でナーチャンと言うホーチミンから200キロほど離れた町に車で行ったとき、道中ずっとバイクの波は延々と3時間ほど途切れることがありませんでした。考えるにこれはホーチミン市の経済圏の広さと、その拡大する経済圏に交通機関のインフラが追いつかず、必然的に手軽なバイクが蔓延したのでは思いました。
 ホーチミンの空港を出たところ、飛行機にはあまり人が乗っていなかったにもかかわらず、出迎えななのか、客引きに来てているのか、もの凄い人波で、出ようとすると、皆の熱いような視線を感じて、目のやり場に困ってしまいました。
ベトナム旅行


 ベトナムのバッチャンの鉢と、雑貨を扱う、オリエントアローと言う会社と付き合いが始まって、ミャンマーだけでなく、いつしかベトナムのことも身近になってきて、1月と3月に用事があってベトナムに行ってきました。行ってきたとは言っても、2回とも4,5日ほどの忙しい旅行で、行ったのはホーチミンとナーチャンと言う2つの町だけです。その程度の旅行をページで皆様にご紹介するのもおこがましいとは思うのですが、私なりの視点で見たベトナムをご紹介致したいと思っています。              
                         

























































































ベトナム戦争メモリアル館
残された米軍の残骸や、ベトナム戦争で使われた
兵器が陳列されています。写真の数も相当なものでした
ここに来ると戦争の悲惨さが身にしみて感じられます。



小さな船をチャーターしてメコン川をクルーズしました。私の後ろに写っているのがこの船の船長である女性です。
若い頃はきっと美人だったのだろうなと言う風貌で、愛想のいいご婦人でした。船の操舵もなかなかなもので
大きな船とすれ違う時の波を計算してあまりゆれないように巧みに舵を取ってくれました。その船から見た港の
様子です。大きな貨物船が、延々と川に沿って並んでおりました。この国の活気がこの港の様子からもわかるような
気がします。夜には観光船による食事とショーが付いたクルーズもあります。イルミネーション輝く船のクルーズも
また一考かと思います。その時この港の光景を一度体感されることをお勧めします。夜その船に乗ったのですが
食事はあまりおいしくありませんでした。やはり食事は市内のレストランに限ります。










































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